2015年6月17日
akira's view 入山映ブログ 自民党
民主党が霞ヶ関をどう使いこなすか、どれほどの国際感覚を披露するか、というのも興味関心の対象ではあるが、とにかく四年間のうちには(評価はともかくとして)一定のスタイルを身につけるであろうことは間違いない。それよりも関心をひくのは、壊滅的な打撃を受けた自民党に「解党的出直し」ができるのか。それはどのようなものになるのだろうか、という点ではないだろうか。二大政党制が機能する為には、自民党にしっかりしてもらわなければ困る。
「みんなの党」を始めとする新旧小党の思惑は、自民・民主がいずれも過半数をとれない、という想定の下に、キャスティング・ウ゛ォートを握る、というシナリオであったとしても不思議はない。民主党が圧倒的議席を得てしまった今、この思惑の延長線は民主党の分裂期待ということになるだろうが、その期待可能性は余り高くないと筆者は見ている。分裂のエレメントよりは、例えば政官癒着の根絶を巡っての一連の施策に対して、官公労などを選出母体とする議員たちがいかに適応し、それを消化してゆくか、という過程の中で、むしろ党としての結束を固める、という方向に向けてのモーメントの方が強くなるだろう、と思うからだ。
自民党の構造的な問題は、ジェリー・カーチスも指摘しているように(8.31「選挙(5)」)社会の望むところ、不満に思っているところをくみ上げるシステムが完全に時代遅れになり、それに全く気がつかなかったところにある。これを再構築する、というのは言うほどに易しいことではない。後援会組織だ、三バンだ、みたいな感覚にどっぷり浸かっていた、そしてまだ浸かっているメンバーが領袖クラスに多い中では、この少数党のリーダーが旧態依然たる人物に落ち着く可能性は決して低くない。それがまずいことはさすがに本能的に察知はするものの、それで思いつくのが知名度・好感度の高いタレントへのすり寄りだ、というのではほとんど問題の本質を理解していない、というべきだろう。(ちなみに舛添氏が総裁選立候補の意図を否定した、というのは彼の知性が健在であることを示している。どこやらの知事さんとはモノが違う、ということだ。)
とりあえずは、民主党の向こうを張って、タテ割り行政への予算付けを伝家の宝刀としてきた政治スタイルに別れを告げ、これまでのナントカ委員といったお飾りではなく、本当に「民」の知恵を吸い上げるシステムを党の中に、あるいは周りに作ることだろう。ついでにいえば、そのためにはあの馬鹿げた公益法人法の改悪を撤回する(8.8「公益法人」)のが喫緊の課題だ。などなど提案したいことは山ほどあるが、国会控室を巡ってのこの党の無様な対応を見ていると、解党的出直しなど遠いことだという感がないではないのだが。
2009年 09月 03日