2015年7月23日
蜘蛛-(2) 荻野彰久 荻野鐵人
傲慢でも卑屈でもない静かで謙虚な、だが人が最も大切にする誇りの権利を自ら放棄しさえすれば、つまりただ単に胃の腑を膨(ふく)らますためだけならば蹴ってよこすものでも喰うことはできるだろう。
それは誇張して言うならば何か美への意識――例え、それが真実でないにしても――と言ったものに全身を揺り動かされた様子がないとは言えない。
が、しかし根元的には未開的な、喰わんがためという肉体からくる欲求に盲従しているに違いはない。
それだけにつまり生理的に必然な欲望であるだけに、それだけ一層彼の情熱は燃え盛っていくという印象を見る人に与える。
即ち、その行動のなかには烈しいものがはっきり見受けられ、何か病態的であるとすら言える熱情があるのだった。