2015年7月28日
蜘蛛-(5) 荻野彰久 荻野鐵人
うえへ上へと今彼が急ぎ一所懸命に登って行くのは、学校で子供が学習に使うような小さいテーブルの脚の一つの夜間用の光で照明された部分だったが、それまでに既に彼はどこか遠い遥かに離れた、恐らくは控え目な影の地点――それは空気のよく通らない狭く埃にまみれた暑くるしい部屋の片隅からだったのかも知れない。
其処からならば目立たせないように自分を低く保つことに絶えず気を配りながらテーブルの最初の脚を上へ向かって登り着くより前に、一度垂直な壁を急ぎ滑り落ちないように用心しつつ駈け降りなければならぬ筈であった。
テーブルの上には小さいガラスの水槽が置かれてあったが、テーブルと水槽とを隔てている薄く捻じ曲げた鉄製の最初の脚に辿り着いた彼は、眼に展望を与えるために頭を擡(もた)げて辺りを見回わし、どうすれば素早く目標に到達することができるか見当をつける時間も惜しむかのように、そのまま走り続けて薄暗い裏まで走り過ぎ、走り過ぎたと気付いたのか、頭と胴が硬い一枚鐙(よろい)で固められているために首が廻らず、更に走って出て、最初のうちは、彼の目指したものが確かにこの水槽であるかどうか確かめているようにも見え、次には水槽を横切り、すぐ傍の窓辺と水槽との間に横たわっている小さい谷間を乗り越えて、夜の仲間たちのもとへ出掛けるようにも見えるのだったが、結局沢山ある彼の脚は水槽のガラスが直角に曲がって行く見晴らしのあまりよく効かない、横目で見るのでなければすぐに疲れてしまいそうな、薄暗い左の端の片隅に突然吹き寄せられたように立ち止まって動かない。