2015年8月4日
蜘蛛-(10) 荻野彰久 荻野鐵人
チャンスを逃さず素早く掴むためには脚の上の関節という関節を丸く折れ曲げた、しかも緊張に満ちた窮屈な姿勢で見張っていなければならないのだ。
だからのんびりした気分や一寸した気晴らしはおろか、生理に必要のない上下の瞼(まぶた)を合わせて離す瞬きすら、いやときには、勿論あまり長い時間ではないが、息まで止めて緊張しなければならないと言わんばかりに細めた眼つきで見詰めている。
が、金魚を掴むこともなく、次々と夥(おびただ)しい空しい時間が、ガラスの上に坐り続けている彼の傍を流れていく――。
恐らく彼はそれに気付かないのだろう。
速やかに掴まえなければならないのは金魚であるのに、自分はなぜガラスの壁をいつまでも掴んでいるのか、ひょっとしたらどうでもいい、例えば隣のテーブルで一組の男女が話しながら摂っている食事を横目で見るような脇目を使ったのではないか、などという凝念を差し挟む様子を見せるどころか、近い将来において自分は必ず成功する見込みがはっきりあるのだと言わんばかりの確信に燃えた目付きで、今に、今にと金魚の方を見詰め続けるのだった。