2015年8月10日
蜘蛛-(14) 荻野彰久 荻野鐵人
恐らくそのために、本当は出来る筈のことが全部は出来なかったのかも知れない。
遠くで泳いでいる金魚を見ると、すぐ彼は唾を飲み、喉を鳴らしはじめ、金魚がいよいよ接近してくると、息すら詰めて緊張し
「今度こそ!」
とじっと見詰めていた。
金魚は来るには来た。
が、彼が金魚を掴んだという証拠は、やはり何処にも見られなかった。
固く冷たいガラス以外何も掴んではいなかった。
このことは彼に死ぬほどでないにしても失望とともに夥(おびただ)しい疲れを齎(もたら)したに違いなかった。
でも彼は10度が20遍でも情熱を込めて、繰り返していた。
無意味なことではないでも有意義だと彼は思っているのか、未来に希望を見詰めるのだ。
だが、金魚というものはそんなに緊張しなくても掴まるときはつかまる。