2015年8月12日
蜘蛛-(16) 荻野彰久 荻野鐵人
「いつまでも君、そんな――」と好奇に駆られた心(こころ)隔(へだ)てなき友が尋ね、それに対して彼が一言の釈明をする暇もないのを見て取りもう一度、
「いつまでも君、見詰め続けているじゃないか」
いま仮に言われたとしても、見詰め続けに熱中の余り、最早時間感情を失った彼は例によって殺された声のない言葉で
「だって俺はつい昨日、いや、ついさっきから始めたばかりなのだぜ!」
と叫ぶかも知れないのだった。
が、答えるそんな僅かな時間の暇も惜しむかのように、烈しい沈黙のまま慌(あわただ)しく忙(いそが)しげに、
「死んだらもう遅い!今のうちにできるだけしっかり見詰めておくのだ」
と、言わんばかりに、以前よりはどう見たって遥かに真剣に見詰め続け、もしも死にそうに彼が疲れてもいない、衰(おとろ)えてもいないのなら、そしてもし彼の時間に余裕があるならば、村中の、国中のいや世界中の人々、男にも女にも、金魚を見詰め続けの効果を説いて歩きたい情熱だけは持っている、と言わんばっかりに殆んど狂信的に見詰め続けている。
そして彼が金魚を諦めたらしいという印象を受けたことは一度もなかった。