2015年8月20日
蜘蛛-(20) 荻野彰久 荻野鐵人
金魚を見詰め始めてから恐らく彼が予期しているよりも遥かに長い歳月が経過しているにも拘わらず、未だにあれほど烈しく見詰め続けができるのは、恐らく彼は冬枯れの年寄りでなく緑の大地を走っていくエネルギーに満ちた青年であるに違いない。
でも金魚の前にしがみついている彼の見詰め続けの中には、長い歳月が死んで行ったのであり、ムダや遊びの見られない彼の今の生活から推察する限りにおいては、彼はもう残り少ない晩年であろう、という印象を受ける。
広い畳の上を横切っていった彼。
遅れない為の急ぎ脚で金魚の見える方へ向って一所懸命に登っていった彼。
使い古した光りで霞み、薄暗くなっている水槽の底の裏側で、独り項垂(うなだ)れていた彼とそして現在の薄暗い片隅の控え目なところに、いま尚、しがみついている彼とを見比べてみて際立って異なる点は、以前よりも遙かに痩せ衰えてか細くなっている脚のくっ付いている彼の関節が、以前に較べてはるかに固く、窮屈そうに折り曲げられた、以前よりも一層緊張に満ちた姿勢で、尚坐り続けているという点ばかりではなく、恐らく長い歳月の間中、空しい金魚を見詰め続けのために瞼を閉じることを自らに禁じた開きっ放しに目を保って来たせいであろう、全く彼の意に反して眼から絶えず涙が頬を伝わって流れ続けているという点であった。