2015年8月24日
蜘蛛-(21) 荻野彰久 荻野鐵人
絶えざる脚を動かさない高度の遊びのない緊張に満ちた彼の金魚見詰め続けの姿勢は、肉体や精神の素晴らしい栄養である休息の弛緩を一切退(しりぞ)けねばならぬ羽目に彼を駈り、長い時間にわたる労苦と忍耐は彼の記憶の黒板から、最早食物という概念や休息という言葉すら抹殺する結果に彼を追い込んだかのように、まるで死んだように尚もまだ動かず、じっとガラスの奥までも烈しく見詰め続けている。
更にまた時間が過ぎていく――窓の外では冷たい風が激しく吹いていた――彼は既に気付いただろうか?
それとももう疲れ過ぎていて気が付かないだろうか?
と、彼が恐らく期待しているよりも短い歳月が過ぎ去ったわけではないのに見詰め続けの作業から引き離されるのを恐れる余り、急いで今の内にできるだけしっかり見詰めておこうと言わんばかりに、いよいよ益々緊張に満ちた姿勢で頑強に見詰め続けている。