2015年8月25日
蜘蛛-(22・最終回) 荻野彰久 荻野鐵人
「おいおい、もういい加減に離さないか。君、一体何時までしがみ付いている積りなのだ!夏はとっくに過ぎてもう冬も終りだぜ」
と笑っている顔の腕が軽く彼の肩を叩きながら言っても、恐らく彼はもう答えないだろう。
自由な、苦しみの消えた喜びを味わわんとばかり伸び伸びと手足を伸ばした姿で、死んでしまっているのではないにしても少なくとも死に浸っている彼の身体の部分々々はハッキリ見る人に次のような推量を抱かせ易かった。
すなわち、乾いた岸辺に見捨てられた捨小舟のように、いつも絶えず満たされたこともなく引込んだままに終った彼の小さい腹、掴み損なった、或いは少なくとも絶えず掴み足りないと叱られ通しに叱られがちだった彼の手、バッタのように西に東に走らされ、いまは血になる栄養の供給さえ受けられず、か細く痩せ衰えた骨の束のようになった彼の脚、暗くて見えないのにそれでも見詰めるのだ!といつも小言をいわれ通しに言われた、未だ瞼の裏に泪の溜って見える彼の眼が、めっきり痩せこけた二つの頬のくっ付いた彼の顔とともに、死んだ彼の身体の一切は、いかにも軽く簡単に広い畳の上に堕ちて来るのだった。
ああ、これで彼は漸く自由の身となったナと見る人に信じ込ませようとするかのように、すっかり手足を伸ばした拘束なき姿で横たわっていたが、僅かな空気の動きに出会うと春先の軽い花弁(はなびら)のように、小さい身体の部分々々がひらひらと空に舞いながら消えていくのだった。