2015年8月31日
akira's view 入山映ブログ アフリカ(3)
さてアフリカである。アフリカの貧困という時、多くの人々が想起するのは内戦に伴って無数に乱立する難民キャンプであり、間歇的に発生する飢餓であり、あるいはその両方だろう。餓死寸前の幼い子供の写真を一度ならず目にしている人は多いと思う。その両者共に現在のアフリカの問題状況を端的に物語っていることに間違いはない。しかし、問題認識がそこに留まる限り、出てくる答えは人道援助であり、緊急食料・医療援助ということになる。そして、それは問題を基本的に解決することはない。誤解を避けるために敢えて付言しておくが、緊急援助に意味がないとか、必要がないと言っている訳ではない。そういう現象が発生する根源に対する配慮なり、手当がない限りことは解決することがない、と言っているのだ。虐待された児童のけがの手当や、心のトラウマの解決も大事だ。しかし、それで子供を虐待する親が減る訳ではない。
ここから先は貧困問題、あるいは開発問題に多少なりとも関わった人にとっては余りに初歩的なコメントだから、そういう方には今回のブログはここで読むのをお止めいただいた方が良い。要するに「魚を与えるよりは、魚のつり方を教える」方が大事だ、という話が一つ。もう一つは結果には原因があり、児童虐待と同じように、原因を特定するのはそんなに簡単な話ではない、ということだ。のみならず、容易に想像されるように原因が複数絡み合っている場合も多く、解決策についても意見がまちまちなことが多い、という事実である。この他にも論点は山のようにあるが、とりあえずはこの二点にしぼってみようと思う。さらに興味をお持ちの読者の方には先に紹介した平野克己氏の著書(彼には「アフリカ問題 開発と援助の世界史」日本評論社という本格書もあるが、とりあえずは先に紹介した新書版をお勧めする。)の他、同じく知己を頂いている山田肖子氏(こちらの方は平野氏のような大家ではなく、気鋭の中堅。下記の書物も贈って頂く光栄に浴した。)に同じく新書で「国際協力と学校 アフリカにおけるまなびの現場」創成社がある。一読をお勧めする。
アフリカは極々一部の例外を除いて、依然として農業を中心とした経済だ。だから、飢餓という限界状況を打破するためには農業生産性、具体的に言うと単位面積あたりの日々の生活のための穀物の収穫量を上げる他はない。これがさらに進歩して、農家に余剰農産物による蓄積が出来れば産業も興ろうというものだが、それはまだ夢物語として、とりあえずは食い扶持くらいは収穫せねばなるまい。これはどこの国にでも起ったことだ。日本だって江戸時代までは飢饉がしょっちゅう起きていた。これを救ったのは篤農家であり、単位面積あたりの収穫量増大だった。日本と違って、灌漑も河川にも乏しく、雨水に依存する他ない農民が大多数だから、旱魃は即飢饉を意味する。結論を急げば、先人たちの開発努力の結果、主食料の単位面積あたり収穫量を(雨水依存型であっても)3倍から6倍に出来ることは実証されている。有機農法の信奉者には耳障りかもしれないが、化学肥料と(旱魃に強い)改良種子の相乗効果には見るべきものがあった。そんなものに使うオカネを貧しい農民が持っているものか、という議論はしばらくおく。アフリカに注ぎ込まれている世界各国の援助なるものの何分の一かでお釣りがくる、とだけいっておこう。問題はそれ以外のところにあった。続きは明日、というのは紙芝居(もう死語かな?)のようで気が引けるが、又次回。
2009年 12月 09日