2015年9月1日
「精神と芸術」座談会 (4)
―健全なる精神と健全なる身体―
出席者 亀井勝一郎・島崎敏樹・丸山薫・斎藤玉男・荻野彰久
(東京 荻野邸にて)
亀井 ぼくは逆に健全なる精神に健全な健康が宿ると思っているんですがね。私たち、無病息災ってよくいいますね。これは、ぼく名前を忘れてしまったんですが、何か仏典に一病ソクサイという言葉があるんですよ。一つ病気をもっていなければいけない。病気の自覚のある所に生命の抵抗力がある。それが健康と云うものの真の観念ではないか、だが全然病気をしないということはむしろ不健全になる。だから、それは精神の問題になりますが、肉体の場合に於いても何処か一つ悪い所を持っていた方が良いと思う。100%健康ということはある面に於いては短命ですよ、お相撲さんとかスポーツマンとか。
丸山 少なくとも、われわれは何処も悪くないような時には馬鹿になっているようです。ニヒルになりますね。
荻野 まどろむという言葉がさっきでましたが、まどろ(・・・)む生活が出来てしまいますね。
島崎 作家の台所をのぞくと、いかがわしいから見ちゃならない。(笑) 読者はみな人がいいでしょう。ですからね。非常に立派な事を作者が云ってくれるものですから、どんなすばらしい先生だろうってわけでね、皆、押し掛けるわけなんだが。そうすると先生の方は悪酒をくらっちゃって得々としているんでしょ。だからその作家の台所をのぞくものではない。そういうなにか乱れたものがないと作品というものは良いものができない。
荻野 日常生活にもわれわれは体験をしますね。
亀井 所謂、通俗的な意味で健康な場合は孤独にならない。孤独というのは、一種の病気と思う。或る意味ではそうですね (笑) それがなければ何も出て来ない。やっぱりね。
荻野 病的な健康ということですか。