2015年9月7日
「精神と芸術」座談会 (8)
―健全なる精神と健全なる身体―
出席者 亀井勝一郎・島崎敏樹・丸山薫・斎藤玉男・荻野彰久
(東京 荻野邸にて)
島崎 そういえば16,17世紀の頃ですか、あのバツハの曲なんて、あれでしょう、あのなんとか公とかにせがまれて、いやなのを自分で無理しても、何れはやるでしょうね。献呈しなければならない時がくるでしょう。(笑)
亀井 昔は王様とか教会の注文で、(笑) 今はどう。
丸山 ドストエフスキーなんかは、やっぱり借金して返す為に、汗をかいてね。
亀井 条件は必要なんでしょうね。沢山お金があって、何時できてもいいときには、書きゃあしないなんてね。
島崎 もとは王様が絶対者だったけど、今は編集者が絶対者ですね。(笑)
健康、不健康の点で行きますとね。私は至極健康な人っていうのは、自分の一瞬間々々に何かぜんぶ発散して出しちゃって、いつも流れちゃってるように思いますね。何か中に渋滞しないのですね。非常に健康な人の生活を見てますとね、実業家でもそうですけれど、何か中に溜らないのですね。何か物を生み出すと言うのは、中に溜るものがないとね。今、アメリカに居るのですけど、もとウイーンの大学の心理学の先生だったシャルロット・ビュイという人。女の人ですが。今、ロスアンゼルスに居るのですが、彼女が雑誌か本に書いてます。彼女、自分が女ですから、女の事がよく解るのです。女の人っていうのは、自分から何もクリエイトしない。男の連中というのは自分の生命を痛めて、そして、痛めた物の中から物を生み出す。女の人っていうのは、いつも流れて居るものですから、物を創造できない。物を創造できる女の人というのは、非常に女らしからぬ女で、そういう実例を見ると、いくらでも解ると書いてあるんです。女の人というのは、そういう意味で健康ですね。(笑)