2015年9月9日
akira's view 入山映ブログ アフリカ(6)
アフリカ政治の腐敗には凄まじいものがあり、ほとんど日本の想像を絶するものがあることについては、先にも触れたし、様々な報道からもご承知の方も多いと思う。が、一つ指摘しておいた方が良いのは、常識の違い、あるいは倫理観の違いともいうべき点の存在だ。まさか今時食人の風習が残存しているとは思わないが、あの人々も悪いと思ってやっていたわけでもないだろう。まあ、そこまで極端な例はともかくとして、アフリカでは複数の子供を意図的に異なった進路に進ませる、というのが一般的だ。一人は農家を継ぎ、もう一人が中等教育を終えて現地で就職する。余裕があればもう一人は高等教育まで進み、それなりの職業選択をする。もう一人は海外留学の道を選ぶ(それも旧宗主国・英語圏等などに分散させる)。要するに社会の激変や不安定性が遺伝子的に埋め込まれ、どんなことがおきても一族の一人は無事に生計を維持できる。
これには裏側のストーリーがある。そのうちの誰か一人が大成功をおさめたら、眷属一同が出世した人間にぶらさがる、というのは当たり前のことで、これを身びいき(nepotism)とか公私混同とか非難する文化はない、ということだ。だから政府高官の賄賂とか腐敗とかいわれるもののうちには、そうしたものも含まれていることを承知しておいた方が良い。もちろん国際基準からは認められるべくもないのではあるが、一概に断罪してみても意味がない場合もある、ということだ。これは何もアフリカに限ったことではなく、お隣の中国にも強い同族意識が存在していることは良く知られている。だから、中国なんていうのは詐欺と泥棒が十億人いるような国だ、と怒る日本人だって、だからといって腹を立てていれば良い、という訳にもゆかないのと同じことだ。
ここで少し脱線。600人を超える大デリゲーションを誇示して小沢幹事長が中国を訪問した折もおり、習副主席訪日に際しての天皇陛下訪問が、通常の外交慣例からすると異例のショート・ノーティスで決まった。関係者の異議にも関わらず、だという。さてこそ剛腕小沢氏の影響力行使か、とささやく向きもあったが、ご本人も民主党もこれを否定。それどころか、天皇の国事行為は、民意を受けた国会の決めること。憲法にそう書いてあるではないか。宮内庁長官ごときがとやかくいうべきものではない。長官も役人ならば辞表覚悟で批判すべきだ、と公言した。
要人に面会するのに相当事前の用意が必要なのは当たり前だ。まして国家元首クラスともなれば、外交儀礼やプロトコルも色々あるだろう。だが、それをはなから守る気がない人にとっては、先の道徳観念と同じで余り意味がない。その意義と重みは政治の腐敗同様相対的なケースもないではない。一番偉い指導者サマにとっては、ルールは自分で作るものに過ぎないだろう。それを無理が通れば道理引っ込む、と一概に観念できるのかどうか。宮内庁長官は辞表を出すつもりはない、と言ったとか言わないとか。だが、本気で異例のプロトコルを阻止する気があるのだったら、長官は「陛下の健康状態がお優れになりませんので」と肩すかしを食らわすことも出来た筈だ。もちろんばれればかぶることになるが、それくらいの意気込みがなければ、後で綺麗ごとの記者会見等を開いてみても始まるまい。とまあ、脱線はここでオシマイ。尻切れとんぼになったアフリカはまたこの次に。
2009年 12月 15日