2015年9月14日
「精神と芸術」座談会 (13)
―健全なる精神と健全なる身体―
出席者 亀井勝一郎・島崎敏樹・丸山薫・斎藤玉男・荻野彰久
(東京 荻野邸にて)
亀井 作品の上では両方なければ書けないんでしょうね。或る場合には、女の声も出さなければならないんでしょうしね。子供の声も出さなければならないだろう。ぼくはこんな事を云うが、ちゃんと種本があるんですよ。(笑) 維摩経と云うお経がありますがあの中に、総てのホウは男に非ず、女に非ず、中性にも非ず。それがホウと云うものである、なんてあるんですよ。あれ、芸術に対する定義じゃあないかと思うんです。ぼくは。
丸山 亀井君は仏像をよく見ておられるんでしょう。仏像の顔のすぐれたものは、そう云うものがありますか。
亀井 そうなんです。それが、つまり仏像って誰でも呼んで居ますが、厳密に云うと、仏像、菩薩像、天人像とか、いろいろございますでしょ。
菩薩像以上は必ず男性と女性と両方入って居る。しかし、中性であってもいけない。つまり、菩薩性と云いますか。そう云うものを想像して描いた。つまりギリシャ彫刻のアポロ像なんて云うのは、女性的な筋肉もありますね。男性的でもある。
丸山 結局、ギリシャの綺麗な青年と云うのは少女的ですね。われわれの眼から見て少女的だから、男性はどう云う風に見えるでしょうか?
亀井 男性から見た男性らしいのは仁王様みたい。
島崎 あ、そうですね。亀井 仏菩薩になったら、天人になったら半分、男女に分れるそうですね。
島崎 ギリシャのあの時代には同性愛が強いが……。だから、彫刻家は何か、自分のその稚児さんみたいなのを彫ったなんてことありませんか?
斎藤 何かあ々云うね、百済観山首なんか両方ありますね。
亀井 え、両方ありますね。
丸山 僕、女形なんて嫌いなんです。しかし、男でないと本当の女がやれないって云うようなことがありますね。
亀井 ぼくは本当だと思う~。女優のやった女形と云うのは弱くて、見ていられない。舞台なんかは、特にそうですね。