2015年10月1日
akira's view 入山映ブログ 推定無罪
近代法治国家では、有罪であることが立証されるまでは無罪の推定を受ける。従って、小沢一郎氏も胆沢ダムをめぐってであれなかれ、公共工事に圧力をかけたとか、政治資金法に違反したとか、検察が明らかに立証し、かつ裁判で有罪になるまでは無罪の推定を受ける。有罪であることを立証するのは検察の仕事であって、小沢氏は無罪であることを立証する必要はない。
しかし、小沢氏を巡る一連の政治資金(?)の動きについて、国民が不信感を持つというのはこれとは別の話だ。だから、理解されているから先の選挙に勝ったのだ、などという論法は全くナンセンスだし、むしろ、怪しげなカネの動きが報道されたにもかかわらず国民は変化を望んだ、というのが普通の感覚だと思う。有罪判決が確定するまで政治家は信を喪わない、という理屈には同意できまい、という話だ。推定無罪の法理はそこまでの外延は持たない。
それにしても、与党の党首と幹事長が同じ時期に巨額の政治資金、あるいは政治に関連する資金について、かくも不明朗な事実を指摘されるというのはただ事ではない。党首の方はお身内のカネだったというお粗末さだったのに比して、幹事長の方は利権を巡っての献金のニオイすらある、というのだからまして、というべきだろう。4億。5億という桁のオカネが端金扱いされるに至っては、政治にかかるオカネとは、なぜどのようにかかるのか、公開する議員がもっと出ても良いのではないかとさえ思う。
情報を公開しうる要素は他にも多い。例えば2440億円が投じられた胆沢ダムについて当事者が施工者決定の過程、積算並びに決算の過程を明らかにすることによって、ことはかなり判然としよう。そんなことはできっこないし、したって信用なんか出来ないというのであれば、通常の土木工事の利益率をお得意の事業仕分けで明らかにしてはどうだろう。賄賂の額が利益の額を超えることはない、というのは永遠の真実だからだ。
いかにも新鮮で、いかにも透明感あふれる民主党政権の誕生だった。実はそのお身内に自民党よりも自民党体質の濃い人がいたり、計画経済大賛成、何でも反対の人がいたりするのを敢えて見て見ぬ振りをすることさえあった。それほどまでに自民党政権の閉塞感は強かったというべきだろう。そんな民主党にいづれボロがでざる得なかったにしても、出方が最悪だ。事態を説明しようという態度が鳩山さんにも小沢さんにもかけらも見受けられない。これではこれまで金権政治で消えていった自民党領袖と何も変わらないではないか。むしろ愚直に実情を語ることによって、最大のピンチをチャンスに変えることが出来たであろう。いや、まだその機は完全に逸した訳ではない。
2010年 01月 14日