2015年10月6日
「精神と芸術」座談会 (27)
―健全なる精神と健全なる身体―
出席者 亀井勝一郎・島崎敏樹・丸山薫・斎藤玉男・荻野彰久
(東京 荻野邸にて)
島崎 石原慎太郎といえば、逢ってもあんな感じの人ですか?
亀山 いいですよ、明るくサバッとしていて。
丸山 結局、皆、頭がいいんじゃないんですか?
島崎 もとの文学を指向するような青年とは、凡そ違うですね。石原さん。
荻野 梶井基次郎あたりとは、全然違うんですね。
亀井 要するに戦前の作家とはタイプが違うんですね。ぼく達が文学をやっていた頃は、作家で洋服を着ていたヤツはあまりなかったですね。着流しで、ぞろっとして、原稿用紙を懐に入れて。バーに行くようになったのは、大正の菊池寛氏あたりで、前にはおでん屋とか、やきとり屋とかいっちゃって、所謂市民的生活に反抗していたんです。
一種のダンディズムですね。異端ですよ、異端。それがすっかり変ったわけですね。
荻野 同じゼネレーションで、どっかに座談会が出ていましたけれど、それを読んでみますと、その人その人の個性によって違うんでしょうが、大江健三郎あたりは、いちばん筋が通っていますね。頭がいいんですね。
亀井 大江君のものでは、小説より随想のほうがぼくは好きです。
荻野 ぼくも。
島崎 初めの話にかえりますが、健康な感じがしますか?
荻野 そうです。随想は。
亀井 そうですね。一寸、体が弱いような感じがしますね。しかし非常に素直ですね。
島崎 何処から、ああいう様なものを出しているんでしょうね。
丸山 健全な学生、いい学生になると、内部へ入ってくるんじゃないですか? 作品は。
亀井 人工的になるんですね。