2015年10月9日
「精神と芸術」座談会 (30)
―健全なる精神と健全なる身体―
出席者 亀井勝一郎・島崎敏樹・丸山薫・斎藤玉男・荻野彰久
(東京 荻野邸にて)
丸山 亀井さんとこはお子さん、高校生ですよ。何年ですか?
亀井 まだ一年生です。
丸山 結局、絵描きだとか、文学家、小説家、詩人とか、は、まあ、いってみれば、不健全、さっきも話したように、傷つき易い。ある意味で、小心者が多い。まあ、わたくしなんかも、すぐ恐怖を感じる。人が嫌いになったりしますけどね。そういう人は、精神病になるのが多いでしょうか?
亀井 多いでしょうね。スレスレのところですから。
島崎 実業家なんかはなりませんね平均がとれて、外むきにできてる。政治家なんかも。
丸山 結局、内攻的なんです。
島崎 でもその位、自分を危険なところまで、追いつめないと、いいものは出来ないのじゃないでしょうか?
荻野 結局、芸術家は、自分の身を足の方から擦り減らしていく。そうして、芸術が完成する。
丸山 ところが、又、わたしはある意味で、こういう風にも考えるんですよ。これまでの私の主観ですが、芸術家というものは弱いようで強いんじゃないかなんてね。たとえば、実業界の人なんかが、昨日まで笑っていた人がぼっと自殺なんかする。まあ、外的条件が非常に激しいところに居りますから、そう云うことにならざるを得ない場合もありましょうが、ひとつひっくり返ると非常に弱い。ところが作家とか、芸術家は物をいろんな方面から見たり、考えたりする能力があるから中々いかないんじゃないでしょうか。ぽっとは。どうでしょうか?
島崎 どうでしょうかねえ、政治家というものは殺されることはあっても自殺することはない。
荻野 そんな政治家が一寸あってもいいと思う。
島崎 官庁のお役人、課長補佐なんてところがよく自殺する。あれは小心よくよくの方じゃないでしょうか?
斎藤 そうですね。