2015年10月14日
「精神と芸術」座談会 (32)
―健全なる精神と健全なる身体―
出席者 亀井勝一郎・島崎敏樹・丸山薫・斎藤玉男・荻野彰久
(東京 荻野邸にて)
亀井 あるいは傷つけられることになれてしまうんでしょ。
あるいは感覚的に自分で人を傷つけてしまうと思ってしまう。一寸した言葉が気にさわるのが特徴でしょう。ぼくたちの育った雰囲気というのは他の社会に比べて、悪口が露骨でしょう。
丸山 なるほど、きいていてそういう点もありますね。鍛えられる―
亀井 その鍛えられ方が、おだてられることがない。必ず悪口。たとえば、大江健三郎なんかめちゃめちゃでしょ。他の社会ではないことでしょ。こちらはそれを商売にしているんですからよくないですが、致命的なことも云いますよ。そのかわり、わたしもそうですが、コテンコテンに立つ瀬がないような言葉を必ず、誰かから云われてますよ。モノを書く人は。
荻野 どの作家も大なり、小なり病的なところがあるんじゃないんでしょうか。
亀井 その病的ってことの解釈ですがね。
島崎 ゲーテというのは、一番健康的な人間でしょ。そのゲーテというのは、燥鬱病ですからね。漱石なんかも明らかにそうなんですから。
丸山 漱石なんか死んでからひどいですね。コテソコテンにやられてる。
島崎 ほんとにどこからも非のうちどうのない芸術家なんてありますか?
荻野 芸術家ばかりでなく、一体に書斉人はそうなんじゃないでしょうかね。プロフエッサーというのも一般的にそうじゃないでしょうか? (笑) どうも傷つき易い。カッとしたら、学生なんかあんまり騒いだりすると、どうせ学生ですから、段が違うんですから、問題じゃないわけですから、なんですが、失礼な真似をされたりすると、不愉快になっちゃったりして。