2015年10月19日
「精神と芸術」座談会 (35)
―健全なる精神と健全なる身体―
出席者 亀井勝一郎・島崎敏樹・丸山薫・斎藤玉男・荻野彰久
(東京 荻野邸にて)
島崎 精神科の医者が変りものであるかどうかは別として、変り種(ダネ)であることは事実ですね。
丸山 それは―。それは狂人の治療をしようという動機が変っているということですか。
斎藤 さてね――。
島崎 どういうもんでしょうね。
斎藤 わたしなどは、精神科へ入ったのはね。医者ってえ奴は俗物ばっかりでね。しゃくにさわっちゃったから、自分は間違って卒業しちゃって、医者になっちゃったんだから―
医者らしくない医者になっちゃったんです。
荻野 あ々、そうですか。
斉藤 そういう時代は―
島崎 そうですね。そういうことは今でもずいぶんありますね。
斎藤 ありますよ。
島崎 ですから、精神科医にならずに、生理学者になるとか、病理学者になる、そういう人が多いですね。
だから、わたしもよく引き合いに出すのですが、明治時代は息子が折角、医科大学を出たのに、病理学をやってて、みんなさっきの話のように、お宅の息子さんはどうして医者にならんのかとびっくりしちやうんですね。けれど、昭和になりますと、病理学をやっても、生理学をやっても、そう驚ろく人はないんです。それだけ啓蒙されているんです。にもかかわらず、精神科となりますとね、折角出たのに、精神科に行っちゃったとなるんですよ。戦前はそうですが、戦後になると、そのへんが違うんです。ことに最近は、精神科だというと「ほう、精神科はいいですね」なんて云うんですねえ(笑) しかし、親も資本を投下したから、それを回収しなければならんという。
島崎 それ自体非常に世俗的な……(笑)
斎藤 そういうことなんですね。
丸山 まあ、そうです。そういうことの裏にはお医者さんをやれば儲かるという考えなんですね。非常にいい商売であるというような……。