2015年10月22日
「精神と芸術」座談会 (完)
―健全なる精神と健全なる身体―
出席者 亀井勝一郎・島崎敏樹・丸山薫・斎藤玉男・荻野彰久
(東京 荻野邸にて)
荻野 精神医学はご存知のように、哲学だとか.そういうものが、組み合わされていないと具合が悪いんですから……。
島崎 精神科学と云うのは、生理学をやった連中は別ですが、精神医学の中の精神的なもの、おれはそんなもの嫌だと云うんです。
どうも精神医学というものはいい学問じゃないようです。
荻野 ですから、精神医学のプロフェッサーの方は、非常に博学の方が多いんですね。文学も作品などもたくさんお読みになって、それを患者との証例としてお読みになる場合も多いようですね。
いまもたとえば、島崎先生の「病める人間像」なんか、たくさん例証されている。たくさんいろんな作品がそこに―。日本の作品はわりあい少ない・・・。
島崎 ぼくは日本はあまり読んでないんです。これから先、すこし、読みたいと思っていますけど、近頃の若い人はどうなんでしょう。
日本のものは、よく読んでいるんでしょうか?
亀井 割合、よく読んでいるんでしょう。
謙訳ものも多いですが、率から云ったら、日本のものが多いでしょう。古典などもふくめて。
荻野 それじゃ恐れ入りますが、結論をひとつ。
亀井 結局、でないんですねえ。それが。(笑)
島崎 結局ねえ、ここまで生きてくると自分は健康だったなあと思うんですよの夭折しないで生きちゃったのですから。ここまで生きれば、ずっと先まで生きるんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。
亀井 まあ、日本の歴史の中で、現代がいちばん面白いんですからね。
まあ、いま迄敗戦国ですから、苦しいんですが、一番面白いんです。これが―。
丸山 それは、あれですか、現代に生きていらっしゃるから面白いという意味になるのですか。
亀井 という意味じゃなくて、あらゆる矛盾と因難が露出していて、統一も統制力もとれていない状態の中で訓練されるってことが、日本人として非常に新らしい。
丸山 いまだ、こういった時代は無いようにも思えるのですね。
亀井 ええ、だから、よくもなれば悪くもなる。
分岐点のこういう時代が五十年か、百年続いたらずいぶんおもしろい。
斎藤 世界の歴史にないありさまですね。
荻野 どうもありがとうございました。
それじゃ、このへんで。
丸山 ありがとうございました。長い間。
島崎 どうも、とりとめのない放談になってしまって―。
斎藤 いや、このほうが面白い。(笑)