2015年10月26日
akira's view 入山映ブログ 公務員制度
霞ヶ関の影響力を減殺することが政治目標になっている。それ自体は結構なことだと思うし、目に余る税金の濫費(話半分としても目を剥くような話に興味のおありの方は、あの鈴木宗男氏の「闇権力の仕掛人」講談社アルファ文庫の一読をお勧めする。損はしないこと請け合い。)やら天下りやらに義憤を感じている向きには、水に落ちた犬は、という思いの方も少なくないと推察する。
しかし、今回発表された次官・局長・部長を同一格付けにして異動を降任扱いしない、みたいな措置を耳にすると、なんだか官僚いじめをこととしている感なしとしない。降任人事が出来ないというのは、もとはといえば、公務員に対して労働基本権を否定する見返りに身分保障(意に反する解雇、降任などの禁止)と人事院設置を規定したことの副産物に過ぎない。この禁止規定がありながら若干の例外を除いて、高級公務員が定年前にすんなり辞職していっているのは、同期入省の一人が最高ポストである次官に就任したら、残りは退職する。ただしおいしい再就職先の保証がある、という永年に亘って築かれた人事慣行の結果に過ぎない。
だから、政権政党の意に反する高官を辞めさせたければ、基本的には公務員法の適用を除外するポストを作るか、労働基本権を認めて一般労働者と同様の雇用取り扱いにするかの二者択一しかない筈だ。後者が王道なのは言うまでもない。が、労働基本権のない筈の公務員が、それにも関わらずあれほど凄まじい労働組合の実力行使(というよりむしろ怠業)が現存している有様では、基本権を認めたらどうなるだろう、という危惧が一頃はあった。しかし、禁止するから陰にこもって悪くはびこるので、認めてしまえば世間相場に落ち着く、という見方にも一理はある。特に労働組合を支持母体に持つ民主党であってみれば、こちらの途を選ぶのがむしろ自然ではないかと思われるのだが。
それを、なんだか一昔前の姑の嫁いびりのようなやり方をしたのでは、第一公務員の志気も上がるまい。策としては下なるものというべきだろう。まあ、さほどに有形無形の官僚の抵抗に手を焼いて、人事権のダンビラを振りかざそう。伝家の宝刀を抜くつもりはないのだ、というのが本意だ、とする見方も可能ではある。しかし政権政党たるもの、権道を採用すべきではあるまい。高級公務員といわゆるノンキャリとの反目につけ込んで、支持母体の労働組合の歓心を買うなどということでは万が一にもないとは思うが、これが論外なのは言うまでもない。
2010年 02月 16日