2015年10月29日
akira's view 入山映ブログ 新しい公共(3)
亀井氏の時代錯誤的郵政再国営化が遂に実施された。しかし、ことこの政策に関するかぎり、「尻尾が犬を振り回した」と見るのは当たるまい。民主党には本質的に「大きな政府」を志向する要素が否めないからだ。「コンクリートから人へ」というスローガンは投資対象については語っているが、その手法については何も語っていない。いまひとつの「民から官へ」の方が、次官会議の廃止とか、官僚の国会答弁の禁止とか、およそ瑣末な改革に留まっているのを見ても、この党に「民」の活力を本気でテコ入れしようと言う態度があるのかどうか、疑問に思わせるものがある。成長戦略の欠如は決して偶然ではない。
要するに、徴収した税金の再配分機能にしか興味がないのだ。これまでは官僚が仕切っていた。今度は政治家が仕切る。地方における施策にしても、中央での談合に代えて、民主党が箇所付けをする。その限りにおいては、先の自民党と何の変わりもない。自民党五十年の政権は官僚天国を現出させ、公益法人制度改悪で「公」の分野における民の可能性を殺した。前者については異なった路線を標榜する民主党だが、後者についてはどうだろうか。
ことは知恵があるか、とか、まわりに学者がいるか、という話ではない。そもそもの世界観というか、社会機能の担い手について、どんな感覚を持っているかが問われている。「人の命を大切にする」政治というのが、庇護・被庇護の関係にある政府と国民を前提にした恩恵的な態度を意味するのなら、これまでの自民党とのスタンスの差はそれほどでもない。そうではなくて、主役は民で、政府はサポートに回る。それがいまだ理想に留まり、民の力がそこまで育っていないというのなら、育成はいかに可能か、育つ芽を摘む疎外要因をいかに除去できるか、という話になる筈だ。二大政党だと言うのならば、これまでの構造から脱却する哲学をどちらが先に提唱するかが問われている。
別に先に言い出した方が偉い訳ではない。例のごとくスローガン倒れに終わるのならば、むしろ自民党にこそ前非を悔いてこの立場を取るか、そのどちらもが望み薄というのなら、第三の政党にこの方向に向けてのイニシアティブをとって貰わねばなるまい。日本の将来はこれを措いて他にはないと思うからだ。再三にわたって公益法人制度改悪の愚を説き、新しい公共に期待をかけているのは他でもないこの理由による。
2010年 02月 23日