2015年10月30日
無極庵記(5)――詩的遺書 成瀬無極
マンの晩年の作品には、人生を高所又は側面から眺めて忌憚なく批評し風刺するといふイローニッシュ(反語的)の態度が愈々露骨になってゐるが、それは「クルルの告白」の朗読にも明らかに感じられる。悠揚として迫らず、巧みな話術の中にウイットやユーモアを交へて聴衆を笑はせる。之にくらべてウェルフェルの朗誦はパセチックな調子で、危く誇張に陥らうとするところまで行ってゐる。マンに従ふと、彼れは元来歌劇的人間(オーペルシメンシュ)で、一時歌劇の舞台に立たうとしたこともあるといふ。幼少のころから音楽を熱愛し、作曲家グスターフ・マーラアの未亡入と結婚した。小説と詩歌との様式の差、十五年の年齢の隔たりもあるが、本質的にマンとは対蹠的の関係に在ったと云って宜からう。即ち、マンがシラーの所謂情感的詩人であるとすれば、ウェルフェルは明らかに素朴的詩人のカテゴリーに属する。この対照が二つの声を通して聴取感得できるのは極めて興味ある事である。日本でもかういふ詩的遺言が数多く保存されることを希望したい。それこそ貴重な無形文化財なるものであらう。 (昭31・4) (ドイツ文学者)