2015年11月4日
「とんち教室」あれこれ(2) 岩佐東一郎
「今朝は起きようとすると疲れていることを感じた。昨日、和服で浦和を歩き廻ったせいらしい。それでも夢声老と約束があるから、朝食代りにミルクを呑んで午前中に荻窪の夢声宅を訪れる。キングの編集者が先客でいたのでこっちのオール小説ヘアンコール原稿を貰う件はあと廻しにして雑談。寿司を馳走になる。そのあと用談をまとめて急いでNHKへ赴く。バスで七尾伶子と同車。二時から三時半まで第一スタジオで、石黒敬七、三味線豊吉、春風亭柳橋、長崎抜天、そしてゲストの野坂相如(新潟県副知事)と共に公開録音する。終ってその録音を別室で聞いた。謝金二千円(税三百円)を受取る。五時に趣味の懇話会委員会が銀座の風月堂であるので赴いたら、そんな会はないという。中ツ腹で尾張町まで来ると、交叉点で市川三郎と逢い、清月堂の間違いと判り、少しおくれたが出席した。色々と打合せをやり、八時すぎ帰宅、自由詩人の休刊通知が来ていた。今日もとび歩き活躍したので、原稿仕事は休んでのんびりすごす。」
惜しいかな、この日の問題がどんなものか、そしてぼくの答えはどういったのか書いてないのである。まだ当時は録音盤を使っていたので、約一時間余の録音を整理して三十分にまとめるためには、録音盤にチョークで記して、不用のところはサウンドボックスを手でつまんで飛ばすのだったから、時々失敗してハラハラさせられたものだ。いまは、テープ録音だから、絶対に安心である。木曜日に録音とって、金曜日に整理編集して、土曜日の夜に放送というシステムは変らないのだ。初めのころは、どうしても固くなっていたのはしかたがなかった。この頃では図々しくなったというのか、ステージで答えをやりながら、場内のPTA(観客の事)の中に、ぼくの知人が来ていてどことどこに座っているかがすぐ判るのだから恐しいものだ。