2015年11月17日
アデレ-ド碇泊(3) 丸山 薫
大麦が積みこまれるにしたがって、船の吃水は眼に見えて沈んでいった。そこまでの豪洲の3港で、東京、香港、マニラからの荷をことごとくおろし、高々としたデッキからポート・アデレ-ド19番波止場を見おろすことの出来た僕らは、いまはもう船側に着く自動車の運転台からひと跨ぎで、船に乗り移れるようになってしまった。
さだめし波をかぶるだろうなあと、メルボルンからここまでの苦難の途を想い起していたら、あべこべに、これでもう万事OKだと事務長はじめ喜んでいる。尤もこのOKにはソロバン上の意味もあるが、航海の安全度の意味もこめられている。船底が沈んで船は波をガブルほどスタビリテはいいのである。だが万に一つ――と大工が云った。若しハッチ・カヴァが不完全で、潮水が船艙に浸入したら大変なのだ。湿った麦が膨張する、その圧力で鉄のサイドが一瞬に破裂するんだからね、と云う。去年、新日本汽船の貨物船辰和丸がシンガポールを出たっきりになった。――僕もその記事は新聞で読んだ――カミナリ、台風、南支那海名物の海賊? とさまざまな憶説も出たが、いちばん確からしい説は、たぶんその時に積んでいた米が膨れ上ったためだろうというのだ。