2015年11月25日
あけびの花に寄せる寸想(2) 斎藤玉男
「国宝」または「それ以上」のものがこわれた時それを繕うには、べつの「国宝」が当るほかはない。多くは人形師格の技術で足るが、人間オートメーションの本元の歯車が歪んだ場合でも同じく同類が修理に当る外はなく、その修理技術がまだ熟達とまでは言い難いものがある。流石の高村さんでも仏像の修理は苦が手であったに違いない。この点われわれ如き頭の修理工の未熟さが恕して貰えた訳でもあったと思う。
筆者は何の因縁か引続き頭のオートメーション修理方を引受けて居るが、オートメーションともなれは歯車の噛合せが相当微妙で、機能回復のフィードバックの切っ掛は単なるメカニックだけでは割切れない。併しここでもメカニックは大事な役割を果して居る。
手近いところで看護の仕事がそれに当る。