2015年11月26日
あけびの花に寄せる寸想(3) 斎藤玉男
思うに全国三百有余の療護施設で専門看護に当って居る人人に福祉の配慮の手がどこまで届いて居るであろうか。
亡友茂吉君註2の「赤光」に収められてある「年若ききちがひ守の悲しみはあけびの花の散らふかなしみ」は、故人こそ「今から見ると抹消したい」と洩らしたものの、故人ならではの体臭も伴ってあるし、もとの巣鴨病院の中世紀風の空気が滲み出しても居る。そこにはやるせないまでではなく物憂い、かげがさすまでではなく重苦しい、言わば犠(にえ)の羊(ジュンデンボック)を想わせるけはいが漂って居る。
さり気なくひそやかなあけびの花にたぐへられるこれ等一群の看護族の人人に、高村さんにならって敬意を捧げたい。