2015年12月10日
akira's view 入山映ブログ N響
3月は定期公演がお休みだから、2ヶ月ぶりのN響定期公演だ。今回はべ−トベンの交響曲3番「英雄」とピアノ協奏曲「皇帝」というお子様ランチのように楽しいプログラム。N響のCプロは、時にこういう嬉しいことをしてくれるから止められない。そのうえ、今回の「皇帝」は絶品というほどの演奏だった。これは定期会員の冥利に尽きるというものだろう。
ピアノはお懐かしやブッフビンダー。彼が端正としか表現のしようのない見事な演奏を披露する。けれん味とか、あくというのが全く見当たらない。淡々として流麗に弾いてのける。こういう演奏のお供をするのにはN響はほとんど理想的といっても良いパートナーで、しかもブロムシュテットが指揮者だから、これは望みうる最高のコンビネーションだろう。だからといって単調だったり、無味乾燥だったりしないのが至芸の至芸たる所以というべきか。オーケストラの間奏部分で音に聞き入っているブッフビンダーの挙措動作はさながらに一幅の絵画であることを喪わなかった。
N響は退屈だ、とまではいわないが面白みに欠ける、みたいなことをいう友人も少なくない。いわんとするところは多少解らないではないが、この日のような演奏を耳にすると、やはりにわかに同意はし難い。N響といえば押しも押されもしないお役所仕事みたいなところがあって、コンサートの運営についてご意見をお聞かせください、なとというのに、ついその気になってご意見申し上げたりすると、これは抱腹絶倒といってもよい「回答」が返ってきたりするのはご愛嬌だ。(事業仕分けの対象にはなるのかなあ)
その典型例が、去年の「もっとも心に残ったN響コンサート」に投票させて、麗々しく結果を発表しているイベントだ。N響の定期会員というのは、1クール3種類6回の公演のうち、一つしか聴く機会がない。よほどカネと暇があって何回も聴きにいっている人がどれ位いるかは知らないが、自分の聴いた公演が心に残ったかどうかを投票させて、それが一位だ二位だと発表するのにどれほどの意義があるのか。それくらいなら、招聘演奏家の希望を聴く方がよほど意味があるように思う。キョン・チョン・ファがまだN響と弾いたことがない、というのは異様だとしか思われない。
会場で旧友の九州出身の快男児夫妻に遭遇した。いかにもクラシックの会場で会いそうもないタイプだったので訳を聴くと、ご令息の奥方のご親戚からのお誘いなのだという。結婚といえば、やれ同性婚だの、夫婦別姓だのみたいな話しか耳にしないが、こうした社会機能の思わぬ重なり合い、というのも結婚という形態の持つ巧まざる機能の一つだと思ったことだった。うちの息子の奥さんの両親が歌舞伎や文楽が好きだったら世の中広くなるだろうに。
2010年 04月 17日