2015年12月16日
大正の留学日記(1) 坪田英熙
4年前に亡くなった母の書棚に100年近く前の古い日記帳を見つけた。
大学の物理学の教員だった祖父が大正10年(1921年)から12年にかけて留学した期間に書いたものだ。第一次世界大戦が終結して3年後の欧米が、戦勝国の一員になった日本人の眼にどう映ったのか。
祖父吉田卯三郎は、大正10年9月22日に「因幡丸」で神戸港を出帆、上海、香港、シンガポール、コロンボ、スエズなどに寄港し、11月2日にマルセーユに上陸、ドーヴァー海峡を渡って7日漸く最初の目的地ロンドンに到着した。約1か月半の旅だ。
船中で英語、独逸語などに慣れようと外国人船客に近づこうとするが「外人共すべて夫婦同伴にて殆ど日本人と話しせむとせず」。やっとロシア系ドイツ人エンジニアに近づき会話の練習を始める。後にチェコ人の乗客とも話すようになり、このチェコ人が八か国語、ドイツ人が六か国語をしゃべることを知って感嘆するが、当人たちはそれだけの言葉を知らないと生きて行けない白系ロシアやチェコの境遇を嘆いている。 (続く)