2015年12月18日
akira's view 入山映ブログ 言行不一致
言行不一致というのはさして珍しいことではない、というよりむしろこちらの方が普通だと言ってよいのかもしれない。口から出まかせ、お調子者、無責任、はては人をたぶらかそうという詐欺まがいまで、言っていることとすることが違うのにもいろいろある。こういうのはしかし、ことさらにあれこれあげつらうほどのことでもない。それこそ世の常、人の常として、こんなものにたぶらかされた自分を責めるしかあるまい。「おれおれ」の振り込め詐欺みたいなものだ。
これと少し違うのが思いはあるが力は足りない、いわば確信犯みたいな言行不一致である。「明日から禁煙するぞ」もこれに近いが、民主党政権の「コンクリートから人へ」「官から民へ」はその典型だと言ってよいだろう。鳩山さん一人の民主党ならいざしらず、まさかやる気もないのに口当たりが良いから選んだスローガンでもないだろう。復活した道路予算やあからさまな利益誘導とも言える公共事業の箇所付け。これが本気で脱コンクリートを目指しているとは流石に気恥ずかしくて公言できまい。しかしもっと悪いのは「官から民」の方だ。
次官会議を廃止してみたり、国会での官僚答弁を禁止してみたり、はては官僚に降格人事もあり得るとすごんでみたり。枝葉末節とは言わないまでも、そんなスタンドプレーには熱心だが、現実に何が起っているかを冷静に観察すれば、官営郵政のトップには大蔵OBを登用(念のために付言しておくが、天下りの廃絶と言うのは、本人の才能・力量を問うているのではない。税金を官僚のほしいままに濫用させることを戒める道具立てだ。)してみたり、目玉商品の「事業仕分け」が財務省の筋書きで踊ったり。何よりも問題なのは、「官から民へ」というのが何を意味するか、その本質が全くお解りになっていない点だ。
民に出来ることは民に、というだけだは足りない。それは税金を使って「官」がやるまでもないことを「民」に任せろ、ということだが、それだけでは十分ではない。絞りにしぼった税金の使い勝手について、その執行過程にいかに「民」の創意工夫を生かすか、「民」の主体的関与を保証する仕組みを作るか、という現実的な知恵の出し具合が問われている。税金に関わりのないところで、民の活動をいかに活性化するかとか、民の「協同」の場をいかに確保するかなどというのに政府が口出しするのは大きなお世話であり、お節介だ。まさに民に出来ることに官が口出しするのに等しい。(政府が「官」であることは改めて言うまでもないだろう。)鳩山首相の唱導に関わるといわれる「新しい公共」とは「人々の支え合いと活気のある社会。それをつくることに向けたさまざまな当事者の自発的な協働の場」だという。これを民間人が民間の知恵として宣言する限り大変結構なことだ。しかしこれが「官」主導の政策提言の一環だとすれば、その害悪たるや、改めて指摘するまでもないだろう。
2010年 05月 17日