2015年12月18日
大菩薩峠(3) 桑原武夫
こういう考え方が一おう認められるとすると、横光の文学の根は(日本近代文学の大よそはそうだが)、主として第一層にからんでいる。そして第二層にも少し達している。吉川英治の『宮本武蔵』は横光より根は深いが、主として第二層から吸収している。そして彼が日本軍国主義の寵児でありえたということは、第二層を軍が不可避的に近代化せねばならなかったという意味において、第一層と第二層との間に主として根をはった、といえるかも知れない。つまり私は、彼の文学にはかなりテラテラしたところが多いといいたいのである。
『大菩薩峠」の根は、もつと深くまで達している。しかも第一層にもかなり太い根がある。介山が若いころ平民社の社会主義運動に加わっていたこと、戦争中「文学報団会」に決して加入しなかったこと、などは生活的に、このことを示している。作品そのものが、このことを示すことはいうまでもない。第二層はいうまでもない。彼の偉さは第三層から水分を吸収していることである。ここで文学評論をはじめるつもりはないので、文例をあげて立証することはやめるが、たとえば『楢山節老』や『東北の神武たち』と比べてみると、深沢氏の中々の努力にもかかわらず、第三層が知的にとらえられたにすぎぬという感じがするであろう。