2015年12月18日
大正の留学日記(2) 坪田英熙
卯三郎は、パリに泊った夜、最初の差別に遭った。
「ホテルの前にて祭礼なりとて見物す。され共酔漢に果物の食サシを顔に投げられ不快に耐へず帰館就寝す。他国に出でて言葉は不充分、神経は過労尚其上に黄色人種は馬鹿にせられ、何とかせざればとても耐へ難かるべし。佛国に40年も居り佛人を妻君にせる諏訪氏(「諏訪ホテル」のオーナー)にして、黄色の人は金を多く使はざればとてももてる筈なしと。眞に金言なり」と嘆き、「凡そ佛国の下等社会等の文明の至らざるは驚くに耐へたり」と批判する。
後にロンドンでも地下鉄で前に荷物を持った婦人が立ったので「席を譲らんと云ひしにノーと申して受けず、多分外国人として好まざりしなるべし」と意識している。自分が降りた後彼女は「更に行き自席の後に着席せり。馬鹿なるは婦人なり」。やっぱり座りたかったんじゃないかと憤慨する。(続く)