2015年12月22日
中国所見(1) 北川冬彦
細民街と厠所
上海の細民街の一つである普陀区薬水弄を訪れたが、ここは昔の共同租界の端れで、解放前は、ここに住む位なら三年牢獄生活した方がましだ、と言われていたほどひどいところだったそうである。上海の与太者、ギヤングの巣窟で、少しいい着物をきていると剥ぎ取られるし、何かと因縁をつけては金をまき上げられる。金を出さないと殴られたり、家に大便を投げ込まれたり、赤ン坊の死骸を軒につり下げられたりしたそうである。道には拗り出されたゴミ屑がちらかり、行倒れが道端にゴロゴロ転っている有様で、まっとうな人々は外出もろくに出来ない。
水道はあったが、ボスがそれを握っていて、高い金を払わないと水が飲めないので、人々は仕方なく一町ぐらい先を流れている蘇州河の水を飲んだ。うじが河から上って民家にはいる。蚊や蝿はむらがり、雨が降ると道は泥水にひたる。伝染病ははやりっ放し、といつた大変なところだったそうだ。それが、解放後、与太者、ギヤングは一掃され、水道は公有となり、道は舗装され、衛生工作委員会によって伝染病はなくなり、住みよい地区となった。