2015年12月22日
大正の留学日記(4) 坪田英熙
リチャードソン教授は、1928年にノーベル物理学賞を受賞した高名な学者だが、卯三郎に講師並みの処遇を与え、研究設備を供与して実験にスタッフを付け、物理学会のフェローに推薦するなど随分懇篤に受け入れてくれている。
翌年2月、卯三郎は教授の研究を追試して異なる観察を得、それを教授に報告したが、その直後の学会では教授がそれを無視して自説を通したのはごまかしだと批判し、10日ほど経って「教授遂に自分の装置の不備を云ふ」と快哉を記す。
ロンドンでは、母親と娘がやっている下宿で生活。大学での研究、自室での勉強の傍ら日本人社会ともよく付き合い、友人知己がよく訪ねてきて勉強の妨げだと愚痴りながら、一緒に日本食を食べに出たり、下宿で痛飲したり、結構生活を楽しんでいる。ロンドンには日本人会館のほか日本食レストランもあって旅館「日の出家」、スキヤキの「湖月」、鰻飯の「都亭」に通い、「板屋」、「東京ハウス」、「トキワ」でもよく飲んでいる。
「東京ハウス」では「ナニハ節の蓄音機をきき女将三輪糸なるもの出で三味線を弾き唄を歌ふ。大に酔へり」といい気分である。 (続く)