2015年12月24日
大正の留学日記(5) 坪田英熙
卯三郎は、実験や研究が捗って8か月後の大正11年7月にキングスカレッジでの研究を切り上げ、ロンドンを離れることになった。
「リチャードソン教授に実験を止めて引き上げの相談をして都合よく談しがつき」、「スコットランドに行き8月中旬に独逸に行けると思ふと重荷が下りた気がする。之からは誠に楽である。讀書に旅行・見学が自分の役目である」と正直に吐露している。
パリには8月17日着。「巴里人は倫敦人の如く気取らず大変住心地よき処なり。今年末又は来年春更に来りて佛語の練習をなさんかな(佛国葡萄酒のキゲンにて書く)」と御機嫌である。
ブーローニュの森のベンチで休んでいると「廿歳前後の小日本人大兵の佛美人と手を組みて白晝横行、皆振り返り見居れり」。トンでる日本人が既にいたのだ。
藤田嗣治はこの年36・7歳。絵が売れ始めて羽振りがよくなった時期だ。妻のフェルナンド・バレエと連れ立って練り歩いていても不思議はない。卯三郎が見たのはフジタだったかも知れない。 (続く)