2016年1月1日
akira's view 入山映ブログ 沖縄決着
沖縄問題を巡る鳩山内閣の動きについては、コメントするのも馬鹿馬鹿しいといったら不謹慎かもしれない。が、まあ、よくも最悪最低の道程を選択されたものだ、と言ったら良いか。もっとも、本当に最悪なのは、ポピュリストとして普天間基地の明け渡しだけを米国に求めて代替案は示さない、という選択もあり得た訳だから、最低限の良識は示した、というべきかもしれない。なんていってもいささかも気休めにもならないのだが。
少子化問題については何ら見るべき対策もとらないのに、一つ覚えの原理原則に拘泥する少子化対策相は、あたかも沖縄担当相のごとくであったし、筆者の世代の有権者にとっては、「だめなものはだめ」とのたもうたかつての日本社会党委員長土井たか子氏を彷彿とさせるものがあった。せめて辞任を、とその袖に取りすがる首相を振り捨てて、敢然として(?)罷免を選択された、というのも何のことだか局外者には解りにくい論理ではあった。
もとはといえば、このブログでも先に(9.16,11.25など)触れた通り、数合わせの野合連立を組んだツケが回ってきたにすぎないし、尻尾が犬を振り回したのも、何も始めて見る光景ではない。沖縄の陰に隠れて余りニュースにならなかったが、郵政国有化という愚劣な政策が、ろくな審議もないままに亀井さんのしたり顔と共に衆議院でその一歩を踏み出したのは、世に言う日本のギリシャ化への舵取りとして長く記念されるべきことであろう。
そんなご時世に何を悠然と「官」だ、「民」だと議論をしているのか。自民党時代の50年。見るべき点がなかったとは言わないし、全てが否定の対象になるという極論を述べるつもりもない。しかし、政官財癒着に典型的に見られるように「権力は腐敗する」を地でいった現象がその臭気堪え難いほどになっていたのもまた事実だ。「官から民へ」という大号令は、その限りにおいて極めて正鵠を得たものであった。しかし、悲しいかな征伐対象とその手段を見誤った。見誤っていないにしても著しく見当はずれのパンチが多い。
「官から民へ」、特にここでいう「民」が何であるかについてこの何回か指摘し続けているのはその理由による。これほどの惨状を呈している民主党政権だが、能天気な不勉強をこの点だけでも改めてくれれば、歴史上に存在意義が残ろうというものだと信じているからに他ならない。おそらく参議院選挙で民主党は惨敗するだろう。自民党にその余白を埋める活力があるとも思われない。スタンドプレーで人気が出たとはいえ、社民党にも期待は出来ない。とすれば、官から民への流れをマニフェストの中軸におく「みんなの党」に躍進してもらって、あの頼りない民主党ができれば鳩山・小沢の影響力を極小に押さえこんて連合を組む、というのが唯一の救いのように思うのだが。さてどうなるか。
2010年 05月 29日