2016年1月1日
大正の留学日記(8) 坪田英熙
卯三郎は、3月20日にサザンプトンからアメリカに向けて出港、27日ニューヨーク着。
アメリカでは2年前の1920年に禁酒法が制定されていて、卯三郎は「酒は飲めず大分勉強が出来そうなり」とやせ我慢。それでもたまに人が持ってきてくれたウイスキーを「二人して大に飲めり」とか、最後に訪れたロサンゼルスで「晩、一富士にて日本酒を飲み藝者の押し売りに閉口」とか、「今夜下村ドクトル、コニャックを持ち帰り大に飲み」とか随所に「飲んだ」、「飲んだ」と書いている。
ニューヨークの「ミヤコ」という料理屋では「酒を茶の如くにして持ち来る」。禁酒法はザル法だったようだ。
5月にワシントンを訪問して「大使館アタッシェ・・海軍大佐永野修身氏の宅に呼ばれ大に日本酒の御馳走になり十二時帰宅。大に酔へり」。二日後にまた永野大佐の自宅によばれ「永野大佐の日本酒を飲みつくし」ている。永野大佐-後の連合艦隊司令長官、海軍大臣、海軍軍令部総長だ。 (続く)