2016年1月7日
三代のアンデパンダン(1) 齋藤玉男
その頃の千駄木林町は閑寂な通であった。団子坂を登りきってその儘左へ行くと、鴎外漁史の観潮閣を経て根津権現裏へと廻り込む。右へ曲ると右側は木戸(その頃の)公爵家の明き地で、桜の古木が並んで居た。左側はプチ・ブル向きの屋敷続きで、中条百合子氏の父君の精一郎工博の住居もあった。閑寂ではあったが、不思議に江戸情緒らしいカケラも感じられない通であった。
その通のとり付きに近い辺に高村家があった。筆者が往診したのは昭和の初の晩秋で、ノッソリと光太郎氏に玄関に迎へ入れられ、そのまま知恵子さんの居間へ案内された。秋の横日が五筋ほどさし込む室内は一言に言えば女らしさの乱雑そのものであつたが、そこに一台手織の機台があるのが先ず目を惹いた。台には綴れ織の織り掛けがあり材料の綴れも散らばって居た。知恵子さんはユックリと起ってこちら向きに立たれた。無言である。暫らくして唇の辺を漂う微笑が掠め過ぎた。あのモナ・リザの唇に漂う微笑のあれである。街も静か、室も静か、対手はその静かさに寄添う風情で更に静かである。軽い一揖、診察は了った。数日後に彼女は夫君に伴はれて品川の筆者の病院に移った。