2016年1月12日
三代のアンデパンダン(3) 齋藤玉男
これに対する知恵子さんはあのモナ・リザの微笑は別として、笙を持たせれば即身即仏の「飛天」である。或は天平の光背を負はせても所を得ないことは聊かもない。さればとてこの人の印象、この人の実存は決して決してデパンダンではない。病に凭り添ふ風情と言っても踏む所は的確に踏みしめて居る立姿である。独特のかよわさと言へよう。「太古の民のおどろきを吾再びす」る光太郎氏は、正に父君の超現代味と知恵子さんの天平の香りの中間にあって、「無礙に生きることが芸術すること」のつつましさに何となく安住したと言へるのではあるまいか。
去ったグード・オールド・デイズは遠いやうでもあり、身近な昨日のやうでもある。それにしても時劫の流れが傳彩するでもなく脱彩もし得ない三様のアンデパンダンのあり方は羨ましい。 (元日本医大神経科教授)