2016年1月22日
akira's view 入山映ブログ 野球賭博
このところ毎日マスコミを賑わしている「大相撲野球賭博」事件だが、筆者は別に角界事情に詳しい訳でも、賭博の世界の裏事情に通じている訳でもない。しかし、ごく常識的に見て、この問題には三つの側面が混在している様に思う。それを認識した解決策を講じないかぎり、トカゲの尻尾をいくら切って見てもことの解決には遠いと言わねばなるまい。
第一は角界の特殊性、あるいは一般社会との隔絶の問題だ。国技といわれ、神事の性格を持つスポーツとしてのユニークさを強調されつつ、その意味するところについてははっきりしていない。法律に抵触するようなケースは論外としても、力士あるいは横綱にふさわしい、あるいはふさわしくない行為とか言動というものが、職業人としての適格性とどのように関わるのかについては、なんとはなく阿吽の呼吸のような納得の仕方しか存在していない。もっと具体的にいえば、今回の賭博事件について角界の特殊性が情状酌量の材料になるのか、ならないのかがはっきりしていない、ということだ。
第二に賭博そのものの違法性の問題だ。最近はとんと斜陽産業で数も激減している雀荘だが、遊んでいる客の中で、レートの差こそあれおカネを賭けていない人がいたらお目にかかりたい。お仲間内なら目くじらをたてない、ということなのか、動く金額と常習性が問われるのか。スピード違反と同じで、ただ運が悪かっただけなのか、それともいくらなんでもこれはひどい、ということなのか。その判断の尺度は相対的なのか、絶対的なのか。十万円という金額の重みは住んでいる社会によって違う、というのも事実である。
第三に反社会的勢力、もっといえば暴力団とまっとうな社会活動との接点の問題だ。興業、あるいは催事とこうしたグループとの歴史的な関わりについては周知の事実であるといってよい。いうところの企業舎弟、つまり暴力団の資金源としての合法的企業活動について、司法当局は取り締まりを強化しているが、一般市民の側からは、一見してそれとわかるものは別にして、にわかに判別し難いものもある、という事情は事態を一層複雑化させる。なりふり構わず自分に対する反対勢力の活動を封じこめようとする、いわばデマンドサイドからするこの種勢力温存の動機も決して無視できないとすればなおさらのことだ。
今回の事件によって、これらの問題全てに解決策が見出されるとは思わない。しかし、少なくともご都合主義の親方と大関の追放だけでことを終わらせたのでは、再発が必至であるのみならず、もっと隠微なかたちで問題が深く潜行するであろうことは想像に難くない。名古屋場所開催したさに解決を急いだとすれば、なおさらのことだ。
2010年 06月 29日