2016年1月28日
akira's view 入山映ブログ 野球賭博(2)
大相撲の「処分」が発表された。TV報道を見る限り、この処分は相撲協会理事会の事情聴取の結果、「特に悪質」と認識されたものとそれ以外のものに二分されているようだ。だが、なぜ「悪質」なのかという内容が、暴力団と関係を持った、あるいは暴力団が関与していることを知った上で賭博に参加した、ということなのかどうかが必ずしも判然としない。単に賭博の頻度、あるいは賭金の額が高いという内容なのかもしれない。わざわざ横綱白鵬が会見の席で謝罪した、ということは仲間内で引いた花札賭博も検討の対象になったが、こちらは頻度や金額がことさらの処分には及ばない、という意味に受け取るのが自然だろう。
先に(6.29「野球賭博」)で指摘した三点、相撲の特殊性、賭博の可罰性、相撲協会と暴力団の構造的関係、のどれひとつにも正面から答えていないトカゲの尻尾切りの感を免れない。民間人の部外委員を検討に加えた、理事長代行が元検事だ、というのがこのいい加減な結末の免罪符になると考えているのなら笑止千万を通り越して、全員が隠蔽の共犯ではないかと疑わしくなる。
論じたい点は多いが、ここは暴力団との関係一点にしぼる。本当に暴力団との関わりが、行為の「悪質さ」の判定基準として処分の可否に採用されたとするのならば、なぜ警察捜査の結論を待てないのか。名古屋場所開催の免罪符欲しさだという以外の理由はないだろう。良い悪いは別にして、興行、特に相撲興行と暴力団関係者との密接な関係は、相撲の歴史始まって以来、きわめて深いものがあるのは誰でも知っている。それを司法当局、つまり警察が、どこまでは目をつぶれるか、ここから先は許さない、という自ずからなる線引きがあるはずだ。関係するのは許す、しかしこれこれの行動は許さない、というやり方はあるのではないか、ということだ。
暴力団の根絶をいうのは易しい。しかし、違法行為を行わない暴力団関係組織(というのも変な言い方だが)が存在するのは厳然たる事実だ。それをどの程度なぜ取り締まるか、というのは司法当局の判断に任せる他はない。それを、いかに検事出身者が入っているとはいえ(入っていながらこんなことにさえ議論を主導できない元検事というのもいささかどうかと思うが)、民間人の委員会が親方と大関のクビを切って一件落着、というのは安易をとおりこして、猿芝居である。まして天下の横綱に仲間内の花札くらいで謝罪させるのは、一種の茶番で自ら権威をおとしめている以外の何者でもない。襟を正して立派だなどとは誰も思わない。そんなことにさえ気がつかないほど感度の鈍い「民間人」たちなのだろうか。
本当に改革をいうなら、司法当局とみっちり話し合いをして、暴力団関係者との関わりの一線を明確にすべきだろう。すべてダメ、という結論ならそれはそれでよい。しかし、それなら処分が一親方、一大関で済むとはとても思われない。
2010年 07月 05日