2016年2月1日
北の言葉(1) 更科源蔵
私はこの頃、私達のように北に生れ北に育ったものが、ふだん何の気もなく使ってゐる日本語で書いたものが、南の方で読まれるときに、はたしてこっちの思ってゐることが正しく伝いられてゐるだらうか、といふ心配が次第に強く感じられるのをどうすることもできない。
たとへば、詩や文章の中で吹雪といふ言葉を平気で使ってゐるが、南の人がよんだら横なぐりの風が、べたべたした雪を頬や睫に吹きつけてくる、あの感触として受けとられるんではないかと思ふ。吾々が痛く体験して切ないほどに表現したいと思ふ吹雪とは、ガラスの屑といふか氷の微塵といふか針の先のやうに尖った雪が、目も口もあけられないほど吹きつけて、部厚く身体を包んでゐるオーバーに突きささり、どうかすると濛々とした灰色渦の中に血も生命も巻き込まれて消えてしまふ、こんなのを真正面に受けるともう方向も何もあったものでないのである。