2016年2月2日
akira's view 入山映ブログ 衣の下の鎧
相撲協会の一連の事件に関しては数度にわたって(6.29 7.5 7.6)書いたので付言することはない。ただ、これに関連して鈴木文科相副大臣と仙石官房長官が、「このまま改革が進まなければ新公益法人への移行は難しい」とか、「黒い世界との関係を完全に払拭できなければ、公益法人という形は難しい」旨の発言をされ、驚いたことにこれに対してどこからも抗議異論の声が出ていない。
今回の公益法人制度改悪についても、2008.2.7以来書き続けている。公益とはなんぞや、という定義に、およそ正気の沙汰とは思われない官庁外郭団体擁護の論理を持ち出し、あまつさえ繁文縟礼きわまりない手続きをおくことによって、日本の「新しい公共」を窒息死させようという話だからだ。そんな惨状を見て見ぬ振りで、鳩山さんらしく甘ったるい「新しい公共」を歌い上げる有様についても既に述べた。今度の制度改悪の中で、ただ一つ認めても良い点があるとすれば、公益認定を独立した民間の第三者機関に任せたことである。
周知のように、これまで旧民法では、公益を認めるも認めないも主務官庁(お役所)の胸三寸。たとえ認められなくても、争う術がない、という切り捨てごめんのような世界だったのに比べれば、独立した第三者機関の設置と機能には大いに期待が持たれた。世の多くの第三者委員会が、実質的には事務局を取り仕切る官僚のなすがままに、官僚の書いた作文にゴム印(rubber stamp)を押すだけの機関に成り果てているにもせよ、タテマエはタテマエである。その独立性を認識して育成してゆくことも出来ない相談ではないはずだからだ。
ところが、独立した第三者委員会の判断に関わるべき公益性の認定を、行政府の高官が人もなげに干渉する発言をする。それに対して業界団体たる公益法人協会(新しい公益認定を受けた組織である)からも、何よりも公益等認定委員会それ自体からも、ひとことも抗議の声が上がっていないのは驚くべきことだ。業界団体というのはとかくオカミの御用承りに堕しがちだからともかくとして、第三者委員会の沈黙には鼎の軽重が問われる。
これはあたかも公定歩合を日銀に上げさせるとか、下げさせるとか財務大臣が発言したのと同じことだし、係争中の民事か刑事の事件について、これは有罪判決が至当である、ぜひそうしたい、と閣僚が発言したのも同然である。これが単なる無知に起因したものではなく、ゆくりなくも、官僚優位、政治が全てを取り仕切る、という鎧が衣の下から見えたのではないとよいのだが。
2010年 07月 09日