2016年2月8日
孤 独(1) 丸山 薫
おととしの今頃、私は海の上にいた。十八年前の今頃もまた海の上にいたことを想い起す。
おととしの場合は、Y丸という商船に乗っていた。十八年前のときは、K丸という帆船であった。
Y丸は香港を抜錨して、マニラに向っていた。K丸の方は、厦門(アモイ)を出帆して長崎へ帰る途中だった。両者を比べると、一つは南へ、一つは北へ――と針路は逆ではあつたが、若しも七月上旬いま頃の事を云うなら、私が南支那海あたりの洋上にいた点では、同様であった。ただ、Y丸のゆくてには、南半球までの長い未知の船路がひろがっていた。K丸の舳(みよし)の方(かた)には、数日のうちに見えるだろう故国の山の緑がたたみこまれていた。双方の場合の相違といっては、前途長い孤独の中にはいってゆかねばならぬ私と、ようやくその孤独をくぐりぬけようとする私との、気持の上だけの事だったろう。