2016年2月23日
あるべきよう(7)(ゲシュタルトに引付けて) 斎藤玉男
ずっと以前に嫉妬に狂った情夫の為に両手両足を切落された大阪の芸妓はんがあった。現に大阪にながらへて居るらしいが、存らへて居るとすると、この人のゲシュタルトはその後しばらくは五体具足の姿のままであったであろう。そしてこの人のその後の生き甲斐は、傷われた肉体にふさうよう自らの力でゲシュタルトの手術をすることにかけられたことであろう。いたいたしくも勇ましいことであったと思う。
「春琴抄」の春琴女とこれに搦む男手代の二つのゲシュタルテンの成り行きも、初めから程々に聊かそこなわれたながらに、そこなわれたことに互に劫(ゴウ)のような親しみを搦め合う筋道に、特異態にあるあるべきようのあり方が鮮やかに浮彫される。
あるべきようは常態は常態なりに、特異態は特異態なりに、自らを規定してゆくらしい。ゲシュ〃ルトの歩みは人間思料の頂きを超えて五情五欲の枠の外を辿るものらしい。
(元日本医大神経科教授)