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2016年2月24日

高村光太郎の憶い出(1)―駒込林町の頃など― 神保光太郎

 高村さんを私が初めて訪ねたのは、私がまだ二十代、大学生の頃であつた。それからその逝去まで三十年、その間の憶い出は尽きない。高村さんの詩は前から読んでいたが、直接会って、その人に心うたれた。それで、屡々、あの駒込のアトリエを訪問した。当時、私はまだ東京の町に不案内であつたが、高村さんのアトリエのある駒込林町辺りはすっかりおぼえてしまう程であった。
 玄関の扉はいつもしまっていた。そこに一本の紐が垂れていた。その紐を引くと、鈴の音が深閑とした屋内にひびき、やがて、ことことと音がして、玄関の側面の小さな窓のカーテンがひらかれ、高村さんの顔が見え、扉をあけてくれるのであつた。思えば、当時、殆んど何も知らないといってもいいような若者であった私にことわりもせずに、いつも長い時聞を相手にしてくださったものである。
 あの家のことを誰かが「暗い家であった」と書いていたが、当時の私にとっては一種の聖堂のような感じでもあったろう。しかも、そこにはいかめしい神が祀られているのではなく、最も「人間的な」人がいるのであった。高村さんに当時、私は何を訊ね、又、高村さんが何を話してくれたか憶えてはいないが、文学のことが中心であったろうが、山や海の話とか、植物や動物、人間関係といったものの方が多かったように思う。その話題はあとで、随筆となって現れたものも多かったようである。
 当時、私は詩を書き初めた頃であった。しかし、詩とはどんなものか、これは現在も同様であるが、何ともつかみ難かった。けれども、高村さんと話して帰ると、よく、詩が書けた。高村さんは何かの交章で「詩とは気圏のようなもの」といった意味のことを書いていたと思うが、あのひっそりとしたアトリエにはそうした意味の詩が充満しているようにも感ぜられた。
 智恵子夫人も健在であった。けれども、滅多に顔を見せなかった。出てこられても、あまり話すこともしなかった。少女の塑像のような女性、そしてその顔に花ひらく微笑みは印象的であつた。高村さんが「誰でも、人には絶対知られない生活の秘密があるものだ」と語られたことをおぼえているが、智恵子夫人の存在は、高村さんが最も大切にしていた秘密のひとつであったのであろう。後年、「智恵子抄」を出されて、その本が意外の反響を呼んだことは、高村さんには寧ろいたいたしい経験ではなかったのか。もちろん、なき智恵子夫人のことを歌わずにはいられなかったであろうが、それが白日の街頭に曝されて行くのは、大切な秘密の扉をこわされて行く思いであったろう。あの詩集に署名して私にくださった時、「この詩集が街の本屋に陳んでいると、どうも我慢ができす買って帰るのです」と語っていた。
 最後にお会いしたのは死の前年の晩秋。その時の高村さんはこれまでにない程、あまりにもやさしいおじいさんの感じであった。いっしょにつれて行った私の子供をいたわる姿など今でも鮮やかに浮んでくる。私は、そのやさしさに何か一種の不安をおぼえてお別れした。そして、その日の高村さんが私にとっての最後の而影となった。
☆☆☆



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