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2016年2月25日

高村光太郎の憶い出(2)―駒込林町の頃など― 神保光太郎

 高村さんがなくなって早くも一年。この間その遺作展を観たが、写真でのみ知っていた初期の木彫作品が一数多く陳べられたことはうれしかった。
 先日、古い手紙を整理したら、高村さんからもらった端書が十幾葉出てきた。その一葉々々、短い交章ではあるがその時の生活があらわれていて興味深かった。私が高村さんを知った初めの頃の手紙に、こんな言葉があつた。
 「私は今、精根をつくして仕事してゐます。此の世のドキユメントをつくる事、人生の指示する処を造形のうちに無言のまま暗示する事、その二つ。」
 又、戦争中、太田村からの幾枚かのたよりの中に、
 「小生旧臘来肋聞神経痛にやられて筆をとる事が苦痛で閉口してゐます。温かになったらよくなる事と思ってゐますが。
 春になったら山ヘカマを築いて食パンを一週間分ずつ焼きたいと思ってゐます。夫人にもよろしく。」
 これは駒込林町のあのアトリエが焼けないユ剛、うちの女房が手製のパンをとどけたのをいつまでも記憶していた聯想に依ったものであろう。
 最後にいただいたたよりと思われるものは、私宛でなく、私の子供に宛てたものであった。最後に訪れた時、私はうちの庭で咲いたバラの花をたくさん持って行った。そして、子供はけ写真機を携えて行って、高村さんを撮した。高村さんは病後であったが、子供のためにあちこちと座をかえて、写真のモデルとなった。ところが、子供の写真術が拙なかったためであろう。あまり良くできず、子供はそのお詫びの手紙を書いた。それに対して、すぐに返辞をくだすった。その宛名のところに、わざわざ「バラの花のなかの神保明を君」と書いてあった。
 「おハガキありがと。
写真はまたいつかとってください。このあいだは暗すぎたのだろうと思います。
こんどは日のあたっているところでとればいいでしよう。
私の病気がもっとなおったころ。」
この子供は今年、漸く小学五年生。
「今なら上手にとれるのだがな」と今でもあのやさしい高村おじいさんを思い出して、残念がっている。
(詩人)



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