2016年3月1日
緋連雀(3) 板倉靹音
僕はそのころ全くみじめであった。日支事変勃発の翌年に肺尖をやられ、療養中にふとり過ぎて糖尿を併発した。安静と栄養を必要とする病気と、食餌の極度の制限と適度の運動を必要とする病気と、あちら立てればこちらが立たずで、甚だ厄介なことになってしまった。そろそろ運動してみなさいと医者に言われて、おっかなびっくりで始めた魚釣がだんだん大胆になり、舟を漕いで沖釣りに出かけるようになったのだが、これが大失敗でまた元の安静に逆もどり。そうなると糖尿のほうも急激に悪化して、はては杯に一ぱいの蕎麦粉を食べても、ニイランダア液でしらべてみると尿が真っ黒になった。ガリガリに痩せて、寒中など、どてらを着て毛布にくるまって掛け布団を一、二枚かさねても、寒さが骨身にしみた。何としてでも生き抜こうという一筋の意志にしがみついているようなものであった。