2016年3月4日
緋連雀(6) 板倉靹音
間もなく授業は全廃となり、生徒をつれて琵琶湖の干拓作業に出かけたり、援農作業に出たりした。後の場合など、そこここに散在する部落に受持ちの生徒を十人、二十人と配って、一とわたり見廻ると、一日平均五里くらいの道のりを歩くことになる。
ある日僕は空腹と疲労でふらふらになって湖岸道路を歩いていた。ポケットには特配の氷砂糖が入っていた。僕の手は無意識にその袋をなでながら、心は誘惑と戦っていた。とうとう小さな一粒を取り出して口に入れた。ついで二粒が三粒になり、家についたころには袋の中味が半分になっていた。糖尿に砂糖は厳禁である。僕は禁を犯したことを後悔した。急いでニイランダアで検尿してみると、意外にも糖は全々出ていなかった。いつとはなしに、六年間にわたって苦しめられた二つの病気に打ちかっていたようであった。