2016年3月8日
党農民部長(1) 小林 克
島木健作にあったことがある。妙なあい方であった。たしか、昭和八年九月の末頃のことで、わたしは二十才であった。
「赤門の前に、S書店という古本屋があるから、そこへ行って、菊雄さんに会いたい、といえばよいんだ」というのだ。この男のことは忘れられない。その後、わたしが、大人とか、社会とか、共産党とかを考える時、いつの間にか、この男が人間の一つの型となって刻みつけられていて、資料を呈供するようになった。彼は、とがった口ひげをたてていた。むくんだように肥った色白の男だ。北九州から沖縄地方のなまりが強い。妙に強圧的でありながら、看守に対しては、いつも、追従をいっていた。看守の方でも、この男だけは、君づけをして特別扱いするのである。
この党農民部長は、いわば牢名主で、われわれ学生たちの精神的支柱であった。死ぬ位にテロられて、もう立つことも出来ないで這って、漸く留置室に戻る。これが伺回か続くと、口を割る、それと共にぐったり行ってしまう。こういう若い連中を送迎して年月を、過したのである。